東京七宝
とうきょうしっぽう
- 国の英雄を讃えるための技術を、日々の装いに。
- 七宝焼きとは、金属製の素地の上に色ガラスの粉の釉薬を高温で焼き付け、彩色を施した工芸品である。17〜19世紀、幕府専属の七宝師による技術は門外不出とされた。19世紀後半には政府の勲章を作るために西洋の技術を取り入れ、東京七宝として進化を遂げてきた。色ごとの境界の明瞭さ、色鮮やかな図柄の精巧さは高く評価され、校章や記章などに広く用いられている。現在、海外ではガラス素材を用いた七宝は積極的に生産されておらず、日本独自の技術だともいえる。東京七宝の職人がガラス素材にこだわるのは、仕上がりの美しい質感、透明感がほかの素材では得られないためだ。一色ごとに焼き付けを繰り返し、表面を研磨することで柄を浮かび上がらせる。巧みに使い分けられた透明色と不透明色が平面に奥行きを与え、完成品は落ち着きのある輝きを放つ。タイピンやカフスボタン、ピアスやペンダント、ネックレスなど用途は幅広く、オーダーメイドで浮世絵をモチーフにした七宝を作ることも可能だ。
主な製造地 | 台東区、荒川区、北区ほか |
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指定年月日 | 平成14年1月25日 |
伝統的に使用されてきた原材料 | 素地:銅、銀、金、丹銅、プラチナ 釉薬:釉薬硅石、釉薬 |
伝統的な技術・技法
- 空焼き:生地の油を取り除く。
- 酸洗い(キリンス):空焼きした素地や焼かれてできた酸化膜を硝酸等で洗う。
- 盛り込み:竹へら(ホセ)・筆でデザインに沿って釉薬を盛り込む。
- 乾燥:3~5時間程度自然乾燥させる。
- 焼成:800度~850度で焼く。
- 研磨:表面の釉薬を180番砥石で粗研ぎする。
- 上げ焼き:仕上げの焼成。
沿革と特徴
江戸初期、平田彦四郎(道仁)は朝鮮からの渡来人に七宝技術を学び、凹部に色付けしたと言われている。この方が我々東京七宝の祖であり彼は徳川幕府のお抱え七宝師として名作を残した。刀の鍔は彼の名作として知られている。平田家は代々江戸に住んで明治初期までその技術は門外不出とされてきた。
慶応3年パリで第5回万国博覧会が開かれた時、日本の権威を海外に宣揚しようとして、幕府も使節団を派遣した。そのとき薩摩藩がパリの勲章師にレジョン.ドヌールというフランスの勲章をかたどらせた「薩摩勲章」を作りナポレオン3世に贈り好評を博した。このことを機に勲章の認識が高まり、時の新政府は元老院の前身左院で賞牌制を設けることが論ぜられ、明治6年その製造が造幣寮に依頼あり、当時七宝作業の経験がなく旧幕府時代の七宝焼家元であった平田春行が明治7年に試作品を完成させ、後の(旭日章)となる。
現在我々組合の七宝製作はこれをベースとして他方面に作品を供給している。女性装身具、紳士装身具、カーマーク、ゴルフマーカー、校章、社章、その他其の用途は非常に多いといえる。
連絡先
産地組合名 | 東京七宝工業協同組合 |
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所在地 | 〒111-0041 台東区元浅草1-2-1 坂森美術七宝工芸店内 |
電話番号 | 03-3844-8251 |