東京打刃物
とうきょううちはもの
- この国では鋏でさえ、日本刀と同じように鍛え上げられる。
- 東京打刃物のルーツは日本刀にある。1871年に日本刀の所持を禁止する廃刀令が公布され、刀鍛冶の多くが業務用・家庭用の刃物づくりへの転業を余儀なくされたためである。東京打刃物は刀鍛冶が磨き上げてきた技術を受け継ぎ、鋼には日本刀同様、日本独自の和鋼である安来鋼の中でも最高品質のものを用いる。切れ味が長持ちし、刃欠けしにくい東京打刃物の性質は、不純物を極限まで排した安来鋼などの材料に負うところが大きい。地鉄と鋼に1000℃の熱を加え、金槌で一撃を加えて生み出される包丁や鋏は、美しいフォルムと輝きを持つ。ヨーロッパの刃物の多くが物を切る際に力を必要とするのに対し、東京打刃物の包丁はほとんど力を必要としない。たとえるなら、力を入れて分断するのではなく、軽く触れるだけで裂くという日本刀の特性に近い。鋏も繊維の一本一本を確実に裁つ精密さを備える。軽くて持ち疲れせず、その美しさと使い心地の良さが百年続くといわれる一生ものだ。
主な製造地 | 足立区、荒川区、台東区ほか |
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指定年月日 | 平成元年7月26日 |
伝統的に使用されてきた原材料 | 鋼(はがね)、地鉄(じがね) |
伝統的な技術・技法
- 鍛接は、地鉄(じがね)部分と鋼の間に硼砂(ほうしゃ)を入れ、約900℃で加熱し、速やかに金槌でたたいて接合する。この際、加熱しすぎて、鋼の成分を損なうことのないよう注意する。
- 焼鈍(なまし)は、火床で加熱した後、炭の粉、又はわら灰の中に入れ、自然に冷却させる。
- 焼入れは、火床で約800℃に均一に赤めたものを、水中で急冷することにより、刃物に硬度を加える。
- 焼入れした刃物は、火床の上で低温で加熱し、品物の肌色を見ながら焼戻しを行い、刃物に適当な靭性(ねばり)をもたせる。
沿革と特徴
「日本書紀」によると、わが国で鍛冶が行われるようになったのは583年、敏達(びだつ)天皇(第30代572-585年)の時代に新羅から鍛冶工が招かれ、はがねの鍛冶法を習ったのが始まりといわれる。
武士階級が台頭するにつれて刀剣職人が現れ、技術も磨かれて、やがて、軟らかい鉄で造り、刃の部分にははがねをつけるという着鋼法によって、ソフトでしかも切れ味の鋭い日本独特の刃物が生まれた。
1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと各地から商人や職人が江戸に移住し、幕府の御用職人の中には、鋳物師や打物鍛冶師の名前も記されている。
江戸の総合案内ともいうべき「江戸鹿子(えどかのこ)」には刃物に関する鍛冶の記録があり、地打のものを扱う出刃包丁屋があったこと、刀鍛冶が本業のかたわら剃刀や包丁などの刃物を作っていたことがわかる。
江戸時代も中期に入り太平の世が続くと、刀鍛冶の技術を生かして、日常生活に必要な道具や刃物の製作にたずさわる、いわゆる町鍛冶に転向する者も出てきた。
さらに江戸幕府が崩壊し、明治4年(1871年)に廃刀令が公布されると、ほとんどの職人は刀剣から業務用、家庭用刃物づくりに転業せざるをえなくなり、彼らは文明開化とともに伝来した洋風刃物の製作にも取り組んだ。
連絡先
産地組合名 | 東京刃物工業協同組合 |
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所在地 | 〒175-0094 板橋区成増2-26-18-101 |
電話番号 | 03-6904-1080 |