東京の伝統工芸品東京の伝統工芸品 Traditional Crafts of Tokyo

江戸押絵羽子板

えどおしえはごいた

江戸押絵羽子板

女の子の健やかな成長を願うと、自然と華やかなものが生み出された。
新年に行われる伝統的な遊戯である羽根突きには、人々の無病息災を願う想いが込められている。17世紀以降、羽根を打つ羽子板を女児の誕生祝いに贈る習慣が始まり、綿を布でくるみ、立体的な絵柄を仕上げる押絵の技法が発達した。歌舞伎の場面を再現した羽子板が庶民の間で流行し、鑑賞用の羽子板としての装飾美が追求されてきた。日本舞踊や日本画、歌舞伎などをもとに、振袖を着た女性や歌舞伎役者が伝統的なモチーフとして受け継がれている。日本舞踊や歌舞伎の場面を再現し、躍動感のある動きを表現するのは難しく、図案を考える職人は舞台を観て構想を練る。職人は台形に近い板の形を最大限に生かし、躍動感と立体感を表現する中で、特に人物の表情にこだわる。目鼻立ちに時代の変化を取り入れ、美しく生き生きとした表情を追い求める。壁飾り用や卓上用など、飾る場所に応じたサイズの製品も作られ、正月に飾られる女児の誕生祝いの縁起物、歌舞伎ファンのコレクションとして人気を誇っている。
主な製造地 墨田区、江東区、葛飾区ほか
指定年月日 昭和60年7月15日
伝統的に使用されてきた原材料 板に使用する用材は、キリ。押絵に使用する布地は、絹織物又は綿織物とし、内部は綿。髪に使用する糸は、絹糸。

伝統的な技術・技法

  1. 押絵づくりは、型紙と布地の間に綿を入れコテで糊づけする。
  2. 面相描きは、上塗り胡粉で表面を滑らかにした後、面相筆を用いて、目・口・鼻などを描く。
  3. 組上げは、押絵の終った各部分を裏側から和紙を用いて、コテで糊づけする。

沿革と特徴

師走の声も中頃、17日から19日までの3日間、台東区浅草寺の境内で、江戸の昔そのままに羽子板市が開かれる。三方の壁にびっしりと羽子板を飾り立て、色とりどりの羽根とともに、景気のいい手打ちが響き渡り、年の瀬を迎える名物行事の一つである。

羽子板は、古くは「胡鬼板」(こぎいた)や「羽子木板」(はねこいた)とも呼ばれ羽子(羽根)は、「胡鬼の子」「はごの子」「つくばね」とも呼ばれていた。

室町時代の永享4年(1432)正月5日に、宮中で宮様や公卿・女官などが集まって、男組と女組に分かれ「こぎの子勝負」が行われたと記録に残っている。

当時の羽子板には、板に直接絵を描いた「描絵羽子板」(かきえはごいた)や、紙や布を張った「貼絵羽子板」(はりえはごいた)とともに、胡粉で彩色し、金箔、銀箔等を押したり蒔絵をほどこした豪華で華美な「左義長羽子板」(さぎちょうはごいた)もあった。

一方、江戸時代に入ると、厚紙等の台紙に布を貼ったり、あるいは布に綿をくるんで厚みを持たせた部品をつくり、それらを組合わせて立体的な絵を作る「押絵」の技術も発達してきた。

江戸時代の文化文政期(1804-29)になると、町人文化が発達し、歌舞伎の隆盛とともに、浮世絵師が数多く活躍し多くの出版物が出された。

こうした時代を背景に押絵の技術が進歩し、歌舞伎役者の似顔絵を付けた「役者羽子板」がつくられるようになり、爆発的な売れ行きをしめした。

年の瀬ともなると、その年の人気役者の当り狂言や舞台姿を、競って求めるようになり、羽子板の売れ行きが人気のバロメーターともなった。

連絡先

産地組合名 東京都雛人形工業協同組合
所在地 〒111-0052 台東区柳橋2-1-9 東商センタービル4階
電話番号 03-3861-3950