東京本染ゆかた・てぬぐい
とうきょうほんぞめゆかた・てぬぐい
- 日本人でさえ、本物のゆかたを知る人は少ない。
- ゆかたは、主に湯上がりに着る着物として発展を遂げた。正装ではないにもかかわらず、ゆかたに上質さと洒落っ気が求められたのは、ひとえに江戸の人々の“粋”な気質によるものだ。19世紀後半に入ってゆかたは部屋着・寝間着として定着し、現在では縁日や祭り、花火大会といった夏の行事で着用されている。薄手の木綿生地は通気性に優れ、汗をかいた肌に密着しにくい。見た目の涼し気な印象もあり、ゆかたは日本の夏の風物詩と称される。現在はプリント染めのゆかたが主流だが、伝統的な染色の工程では、やかんと呼ばれるジョウロ型の容器に染料を入れ、反物に注いで色をつける。注染と呼ばれる日本独自の技法である。異なる色の染料が入ったやかんを同時に注ぐことで生まれる美しいぼかしは、職人の高度な技術を必要とする。藍色や紺を基調とする主張し過ぎない色合いは“粋”を体現する。現在はゆかたと同じ注染で染められた手ぬぐいが数多く作られ、持ち帰りやすい土産物として外国人に喜ばれている。
主な製造地 | 江戸川区、足立区、葛飾区ほか |
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指定年月日 | 昭和58年12月27日 |
伝統的に使用されてきた原材料 | 綿織物 |
伝統的な技術・技法
- 型紙は、柿渋を用いて手漉和紙(てすきわし)をはり合わせた地紙又はこれと同等の地紙に切り込みをしたものとする。
- 型付けは、手作業により行う。
- 染色は、手作業で注入方法により行う。
沿革と特徴
浴衣という言葉は、平安時代初期の「延喜式」(えんぎしき)の中にもみえ、「和漢三才図会」(正徳3年、1713年)に「浴衣(よくい)、内衣(ないい)、明衣(めいい)和名湯加太比良(ゆかたびら)、俗に由加太という浴帷子(ゆかたびら)と訓ず」とある。
当時の寺院には付属的な建物として浴堂(風呂場)が設けられていた。
この浴堂での沐浴の際には、肌を見せてはいけないと固く戒められており、必ず単衣をまとって入浴していた。これが「浴帷子」で、別に「明衣」などとも呼ばれていた。
その素材の多くは白の生絹でしたが、後には模様のあるものも用いられたようである。この「浴帷子」は時代とともに「湯具」(ゆぐ)「見拭」(みぬぐい)「湯巻」(ゆまき)「腰巻」など様々な言葉が使われるようになっていった。
呼び名が変るにともない、用途も少しずつ変化していった。そして、江戸時代の中期には湯上がりのときに着る着物をいうようになった。
幕末の浮世絵には浴衣をまとった美人図がたくさんある。湯屋での入浴がひとつの風俗として定着していたことを示すものといえるだろう。
こうした湯屋の発達は、いきがる「江戸っ子かたぎ」とあいまって、湯上がりに着る浴衣を質量ともに向上させることになった。
さらにもうひとつ忘れてはならないものは、芝居からの影響である。
歌舞伎十八番「助六」では、かんぺら門兵衛が藍で染めた白地の真岡木綿(今の栃木県真岡で産出した木綿)の浴衣をひっかけて、帯をしないで登場してきた。
今では浴衣といえば、縁日、祭り、夕涼み、花火などとともに、夏の風物詩として欠かせぬものとなっている。
こうした夏の普段着として浴衣が定着したのは、明治に入ってからのことである。
連絡先
産地組合名 | 関東注染工業協同組合 |
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所在地 | 〒124-0012 葛飾区立石4-14-9 東京和晒(株)内 |
電話番号 | 03-3693-3333 |