東京額縁
とうきょうがくぶち
- 画家と画商と収集家。世界一注文の多い方々が、私たちのお客様です。
- 画家は額縁を作品の一部としてとらえ、自身が誇れる完成度を求める。画商は絵画の価値を高める演出を額縁に期待し、美術品のコレクターはインテリアの一部となるような空間との一体化を思い描く。故に、額縁に定番のデザインは存在せず、個々の想いを既成品で受け止めることは難しい。東京額縁の職人は画家や画商の要望を聞き、時には議論を重ねて最適なデザインを導き出していく。洋画の普及に伴って19世紀に発展した額縁づくりは、かつては指物、彫刻、塗装などの職人が分業で行っていた。東京額縁はそれらの技術を集約し、仕上げまでを一貫して行うことで、様々なオーダーに応える製品を作り出してきた。塗装によって木地の質感を演出する技術に加え、絵画の色合いや飾られる場所とのマッチングなど、審美眼と経験値を兼ね備えた職人への顧客の信頼は厚い。版画用の額縁では同じデザインの物を複数作成するが、職人は手仕事ならではの味わいを大切にし、ひとつひとつが特別な額縁を作り上げている。
主な製造地 | 台東区、豊島区、荒川区ほか |
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指定年月日 | 昭和57年12月24日 |
伝統的に使用されてきた原材料 | 木地は、スギ、ヒノキ、サクラ、ホオノキ又はこれらと同等の材質を有する用材とする。漆は、天然漆とする。箔は、金箔、銀箔とする。 |
伝統的な技術・技法
- 和額及び洋額とも、外縁などの留接ぎは、クサビ、千切で補強する。
- 和額の仕上げは、①塗り仕上げにあっては、精製漆の手塗りとし、②箔仕上げにあっては、箔下うるし塗りのうえ箔押しをし、③木地仕上げにあっては、砥の粉引きのうえ、ろう磨き(原文は「ろう」は漢字)とする。
- 洋額にあっては、天然木材の直彫りとし、飾型については雌型による押しつけとし、箔下うるし塗りのうえ、箔押しをする。
沿革と特徴
日本では昔から、生活空間を彩る屏風形式の絵画が愛好されてきた。
現存する古いものでは、正倉院の「鳥毛立女屏風」がある。室町時代、足利義政の時代には豪華な金地の屏風絵が普及した。織豊時代に開花した桃山文化では、狩野永徳による雄大華麗な「唐獅子図屏風」がある。また江戸の元禄期(1688-1704)には、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」などがある。
日本で額縁が本格的につくられるようになるのは明治時代を迎え欧米文化の摂取の中で洋画(油絵)の技術が流入されてからである。画家の指示により指物師が木枠をつくり、仏師(仏像彫刻師)が彫刻し、塗師が漆塗り仕上げをしていた。
専門の額縁師としては明治25年(1892)、当時塗師であった長尾健吉がフランス帰りの洋画家山本芳翠の勧めで、芝愛宕町に小工場を建てたのが最初だといわれている。
額縁の業界では、絵画を額に入れることを「額装」(がくそう)と呼んでいる。画家が精根傾けて描いた作品を額で一層引き立たせたいという額縁師の心意気がうかがえる言葉である。
連絡先
産地組合名 | 東京額縁工業協同組合 |
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所在地 | 〒111-0053 台東区浅草橋4-19-2 (有)額縁工房田島方 |
電話番号 | 03-3851-9432 |